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<東京大空襲>65年、遺族「最後の節目の日になるかも…」(毎日新聞)

 東京大空襲から65年を迎えた10日、遺族らでつくる「東京空襲犠牲者遺族会」(星野弘会長、会員約800人)も結成から10年目の節目となった。会員の平均年齢は80歳を超えて高齢化が進む。一方で、空襲で失われた地域のつながりをようやく取り戻す人たちもいる。東京都墨田区の都慰霊堂で開かれた「春季慰霊大法要」(都慰霊協会主催)に出席した遺族会員の無職、望月謙一郎さん(82)=大田区=は「平和を続けてもらいたい」と花を手向けた。

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 望月さんの両親と当時14歳と3歳だった弟2人は空襲で死亡した。家族4人の遺骨は見つからず、無縁仏として慰霊堂に眠る。17歳だった望月さんは五反田の軍需工場にいて無事だったが、孤児として生きた戦後のひもじさが忘れられない。

 5年ほど前の3月10日。慰霊堂で遺族会のビラを手にして入会。翌年の遺族会総会会場で、遺族が描く空襲画展に足を止めた。生まれ育った「石原町」(現墨田区)や、家族4人が避難した二葉小学校の惨状を描いた絵だった。吸い込まれるように絵に見入った。

 作者の堀切正二郎さん(84)=埼玉県草加市=は「熱心に見ている人がいる」と思い、声をかけた。「糊(のり)屋のショウちゃんだよ。望月のケンちゃんかい?」。約60年ぶりの再会だった。

 2人が子供時代育った自宅は、わずか30メートルしか離れていなかった。繊維業を営んでいた望月家は、糊販売業の堀切家で糊を毎日買っていた。2人は相撲やベーゴマでよく一緒に遊んでいたという。

 その後も交流が続き、空襲画や講演で平和を訴え続ける堀切さんに背中を押され、望月さんは昨年8月に初めて空襲体験について講演した。それまで、家族を捜して焼け野原を歩いたあの日の記憶は誰にも語らずに封印していた。「ずっと重い荷を背負う思いだった」。堀切さんとの出会いがその荷を下ろしてくれた。「戦争反対とただ叫んでも意味がない。戦争経験者は体験を伝え、未経験者は聞くことで平和が続いてほしい」。今はそう思えるようになった。

 望月さんは10日、法要の1時間前にグレーのスーツに茶色の帽子姿で会場に到着。慰霊堂の周りを1周し、「65年前とは様変わりしたなあと感じた。慰霊堂の脇の池で弟らとトンボを捕ったり、魚釣りをして遊んだことが目に浮かんだ」とかみしめるように語った。

 遺族会は地区ごとの交流会を30回以上開いてきた。大空襲以来の再会を果たす遺族や、心にしまい込んできた体験談を語り始める人が増えている。星野会長は「遺族にとって残された時間は少なく、今日は最後の節目の日になるかもしれない。遺族の思いを今後も次世代に伝えていきたい」と話した。【森禎行】

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